その男は不思議な魅力を持っています。ぶっきらぼうで生意気なのですが、何故か憎めない。わたしよりかなり年下なのにも関わらず敬語もほとんど使わない。でも私はこの男から最近いくつか学ばされたことがあります。
男は食にはさほどこだわりを持っていません。好き嫌いもかなりあり、食わず嫌いもたくさんあります。しかし、その中でラーメンには多少の好みがあるらしいのです。それで私は自分がお金を出して食べる2店の内の一軒に男を連れて行きました。そこは中心部から少し離れた場所にあり、その店に行くという目的以外はないというところにある、こだわりの強い店です。ラーメンや中華料理というのは旨み(化学)調味料(アミノ酸)を全面に押し出している店がほとんどです。だからどこで食べてもたいした違いはなく、後味だけがギトギトとして残ります。しかしその店は素材を大切に扱い、ラーメンも大切にしています。そんな店で食べた後、男は「今まで札幌で食べたラーメンで一番うまい。」と言いました。私が上で述べたような能書きや薀蓄なぞ関係なく、自然食に興味があるわけでもないのに、一度でうまいものを感じとったのです。美味しいものは誰が食べてもおいしいものですが、私のような回りくどい人間が時間をかけて探して、味わった感覚に一瞬で追いついてしまうのです。誰かがうまいと言ったから、なんていう発想は微塵もありません。無知なはずなのに一番を見分けることができるのです。私はこの直感力に嫉妬を覚えました。私自身もそれには割と自信を持ってはいますが、全く情報の無い中で当たり前のように自分の感想を言い、しかもそれがその通りということは、全員ができることではありません。
もう一つ似たようなことがありました。私が仕事帰りに洋服を見て行こうとしていると、男も行くといいました。それで一緒に見て回ったのですが、男はスポーツメーカーのナイロンパンツに同じメーカーのTシャツ、スニーカーといった格好でした。私個人的には嫌いではないですが、そのスタイルを狙ってきているわけではありません。楽だからその格好で来たというだけでした。その男は普段高い服はほとんど買わず、そういう店にもほとんど行ったことが無かったので、高くていいものを置いている店に連れて行って欲しいと言ってきました。私はまた悪い癖で、男が喜びそうで今の格好で行ってもおかしくない場所を頭の中で探していました。そうしていると男は「あのTシャツが置いてある店に行きたい。」と言ってきました。あのTシャツとは、私達共通の知り合いが着ていたヴィクター&ロルフのものでした。私はビックリしましたが、希望だったのでヴィアバスストップに男を連れて行きました。すると、店には決して馴染まない格好でウロウロしながら、付いている値札を次々と見ては目を丸くし、驚き、しきりに「こんなの買う奴いるのかよ」と言っていました。しかし、ヴィクター&ロルフのTシャツを見つけると「やっぱりこれいいねえ。」と言い1万7000円くらいもするTシャツを買ってしまいました。これがヴィクター&ロルフのものだとは知らぬまま。買い終わった後私にこの店とデザイナーの名前を何度も聞いて、デザイナーがパリコレの第一線で活躍していると知ると、「俺がこんなの着ていいのかなあ。」と照れ笑いしていました。
私はこの男からストレートに、自分の自由に生きる、ということを再確認させられました。自由にしているつもりが、いつの間にか情報に縛られ、きれいなレールを作ろうとしている自分に気付きました。男の細かいことは面倒臭いという怠慢と、これでいいやという直感力。これがとても心地よかったのです。好きで勉強してきたつもりの自分が、少しだけ格好悪く感じました。こんな直感で格好いいものばかりを選べる男はなかなかいないですが、とりあえず雑誌でもなく人でもなく、自分の感性だけで勝負してみる男でありたいと思いました。本当の意味でのアナーキーな男。秩序の中で秩序を壊すのではなくて、無秩序で生きているが、秩序を乱していないというかっこいい人間になりたい。そう強く思いました。